神戸にて


　カタン…コトン…カタン…コトン
「次はぁ新神戸…新神戸です、お降りの際はお忘れ物の無い様ご注意下さい…」
　…ふぅ、やっと着いた
　智子は…隣で寝てる、やっぱり緊張してたんだろうなぁ

　オレはこの旅に出る事になった時の事を思い出していた
「と〜もこ」
「なんや、気色悪い声出して…」
　この夏、一緒に海に出かけてから、オレと智子はお互いの仲を隠そうともせずに
公認の仲になって行った
　ついでに、と云っては何だが、呼び方もお互い名前で呼び合う事で既に慣れてし
まっていた
「今度の連休、またどっか行かないか？夏の残りも在るし、足りない分は放課後ゲ
ーセンでのバイト代がまた出るから」
　夏の海に泊りに行く為に始めたゲーセンでのバイトだが、実は今でも続けている
　何の事は無い、智子の塾の時間とバイトの時間が同じ頃なので、待ち合わせに丁
度良いのだ
「御免、この連休は一寸用事在るから…」
「用事？」
「うん、神戸のお父ちゃんがタマには遊び来いって、連絡在ってん。お父ちゃんと
は、この間こっち来た時以来やし、行こうか思って」
「なら、オレも一緒に行って良いか？」
「ヒロも？なんで？」
「やっぱ親父さんには『智子さんを下さい』って云っとかなきゃ…ごめんなさい」
　軽く冗談を飛ばす積もりが智子の絶対零度より冷たい視線で止められた
　周囲の気温も３度くらい下がった気がする（エルクゥか！？）

「で、なんでなん？」
「いや真面目な話、智子が生まれた町、通った学校とか見たいし、一緒だった友達
ならオレも会ってみたいから」
「別に見たっておもろいモンちゃうで？わざわざ金暇かけて見るモンちゃう」
「なら、友達だけでも会って置きたいんだ。昔の話とかも聞きたいし…なぁ、良い
だろう？」
「まぁ、見られて恥ずかしモンもないけどね…まぁええわ。ただし、お父ちゃんや
他の皆の前で変な事せんといてな？」
「変な事って？」
「…だから、その…えっちな事とか…って、何云わすねん！」
　云うが速いか神速の蹴りが飛ぶ
　しかし、オレだって伊達に智子と付き合ってる訳ぢゃ無い
　既に蹴りの来るタイミング・コースは把握している
　紙一重で蹴りを躱し、智子がよろけた所を見計らい腕を出して抱き留める
　まだ智子の注意が足に行ってる内にそのまま体を抱きしめる
「なにすんの…んっ」
　蹴りが躱された事を把握した智子が抗議の声を上げる為に顔を上げた瞬間を見計
らい唇を合わせる
　最初こそ抵抗を見せる智子だが、段々抵抗も弱まって、最後はオレの背中に腕を
回してくる
　存分に智子とのキスを堪能してから体を離してやると、智子が一寸上気した顔で
抗議する
「最近ヒロ、ずるなった…全然勝てへん」
「まぁ、良いじゃねーか、智子だって嫌いじゃないんだろ？」
　上気した顔のまま、コクンとうなずく
　夏に「素直になる」と云って以来、本当に素直になったと思う
　前のクールでドライな智子も良かったが、ここまで素直になると、これはこれで
非常に可愛く感じる
「じゃぁ、次の連休は神戸。行こうぜ、一緒に」
「うん…」
　と、なし崩しに決めてしまった

　やはり、初めて父親に「彼氏」を紹介するかも知れない、となると緊張するんだ
ろうな
　オレの家は完全に放任主義だし、智子の母親もどちらかと云えば放任主義らしい
ので、改まった紹介と云うのはお互いしていないのだ
　しかも、長年付き合ってきた「親友」にもオレを紹介するのだ
　これは、オレが「友達にも会いたい」とお願いしているから、間違いなく紹介す
る事になる
　智子だって伊達にオレと付き合ってる訳じゃない
　友達相手にオレの事を「向こうでの友達」とか適当に誤魔化した云い方をすれば
即座に訂正、下手すればその場でキスの一つもするかも知れないだろう事は百も承
知だ
　この場合は智子に逃げ場は無いのだ

　おっと、考え事してる内に列車の速度が落ちてきた
「智子、ともこ」
　智子の体をゆすりながら呼びかける
「ん…、ヒロ？なに？」
「寝ぼけるなよ、新神戸、着いたぜ？」
「え？もう着いたん？さっき東京出たばっかりやん」
「そりゃ寝てりゃ気付かないだろ？荷物降ろすぞ」
「あ、ありがと…私、眠っとった？」
「ぐっすり。可愛かったぜ、ね・が・お」
「な…何云ぅとんねん！…あっ」
　まだ寝ぼけてるのか、座ったままなのに蹴りを出そうとしてバランスを崩す
　今はオレも荷降ろしに両手が塞がっている
　バランスを崩したまま椅子に向かって倒れ込む智子
「いたぁ…」
「こんな所で暴れるからだぜ、オレ達の仲で寝顔くらい恥ずかしがらなくても…」
　ついでにからかってやろうかと思った所で不意に気温が下がった
　エアコンが壊れた…訳では無い
　やばい…智子の目がマジだ
「藤田君、やっぱ此処からは私一人で行くから、後はえぇわ。見送りありがとさ
ん」
　智子はすくっと立つと自分の荷物だけ持ってドアに向かって行く
「おい智子、待てって」
　オレも自分の荷物を持って智子を追いかける

　無事忘れ物も無く新神戸駅へ降りたが、智子はこっちを見るでも無しにホームの
階段を降り様とする
　しょうがねぇなぁ…階段を降りた所で、まだ前に進む智子を回り込む
　荷物を降ろして、まだ改札に向かう智子を正面から抱きしめる
「な…なにすんねん！どいて！」
　怒鳴りながらも手に荷物を持っている状態では何も出来ない
　オレは右手でしっかり抱きしめ、左手を智子の右頬に添える
「こんな所で…なにすんのん…やめて…」
　云いながらも段々と口調に強さが無くなって行く
　左手を添えた頬を少し動かして口が合う様に位置を修正する
「や…やめ…ん…」
　云い終わらない内に唇を合わす
　耳には智子の両手から荷物が落ちた音が聞え、背中に手が回るのを感じる

　どれ位経っただろうか、周りからは一緒に列車を降りた人の喧燥が消えたが、そ
の後多分オレ達を囃し立てる声だろうか、後ろから聞える
「トモぉ〜、いきなり見せ付けんといてぇ〜」
　智子の体がびくっ！と震える
　閉じていた目をかっと開き、オレの肩越しに人影を見付けた途端、オレの体を突
き飛ばす
「うわっ！何すんだよ」
　突然の反応に転びこそしなかったモノの、数歩後ずさって何とかバランスを取る
　当の智子はオレの抗議など耳に入ってない様に荷物も持たずに改札に駆け寄る

「ヨウちゃん、リっちゃん！久しぶりぃ、元気しとった？」
「トモこそ見せ付けてくれるやん、あのトモがねぇ…」
「こ…これは、その…」
「隠さんでえぇよ、前に話に出とった彼氏やろ？」
　そこまで話が進んだ所で二人の荷物を持って会話に参加する

「そう、オレが智子の彼氏の藤田浩之、ヒロで良いぜ。二人が智子の親友の…」
「おぅ、佐藤洋子と高橋律、よろしくな」
　オレは律と握手を交わし、ヨウちゃんにウィンクした

「うわ、むっちゃキザや、トモの彼氏」
「そら、そぉや？私の他にもよおけ女友達おるからなぁ」
　智子のやつ、イキナリとんでもねぇ事云いやがる
「オレはそんなにタラシぢゃねぇぞ！」
「いーや、タラシや。私が知らん思とんちゃう？神岸さんに長岡さん、宮内さんや
３年の来須川先輩、１年の姫川さんと松原さん…」
　何でこんなに詳しいんだ？あかりや志保、レミィはともかく、先輩や琴音ちゃん
に葵ちゃんまで…

「ヒロってやっぱりタラシなんだぁ」
「って云うより、そこまで把握しとうトモのが恐いやん」
　やはり、カップルだ
　ヨウちゃんは女側の、律は男側の感想を漏らす

「えぇんや、タラシやから私がちゃんと見とかんと何処で何しとうか、糸の切れた
凧になるからな」
　そこまで云うか？
　なら、こっちにも反撃の手は在るぞぉ

　オレは荷物を置いて、智子を後ろから抱きしめた
「そんな事云っても、オレが智子以外とはこんな事する積もりは無い事知ってるだ
ろ？」
「なっ…みんなの前ではおとなしーしとき！云うといたん、忘れたん？」
「あぁ…そうだったな、二人っきりの時に燃えあがろうぜ」
　抱きしめた力を一瞬強めて手を放す

「な…あ、阿保ぉ…」
　智子は真っ赤になってうつむいてしまう
　蹴りを出そうにも、何分後ろから抱きついていたので勝手が違うのだ

「はい、はい、ご馳走さん」
「やっとれんわ、もう…でも、トモがこんなにメロメロなるん見たん初めてや」
「そやな、別にオトコ嫌い云う訳や無かっても、こんなんなるとはな」
　律とヨウちゃんは好き勝手に感想を漏らす

「そりゃ、じっくり時間をかけて愛してきたからな」
「何時までやっとんのや！」
　二人に返事してるうちに体勢を変えたのだろう、正面を向いた智子が神速の蹴り
を出していた
　これは不意討ちに近く、見事にクリーンヒットして仕舞った

「やっぱ、ヒロってタラシなんや…」
　ヨウちゃんの台詞に律もうなずいて答える
　もぉ好きにしろ…
　左脛に感じる激痛で、オレは何も考えられなくなっていた

「しかし二人とも、今日はどないしたん？約束は明日やん」
　駅からホテルまでの道中、智子が二人に聞いた
　オレも聞きたかった事だ
　今日は智子の親父さんに会う事になっているので、二人と会うのは明日の予定だ
った筈だ

「いや、今日来るの判っとうし、出迎えだけでも思てな。噂の彼氏も見て見たかっ
たし」
　なるほど、オレもこの二人は会えるモンなら早く会って見たかった
　そう考えると、オレ達は結構似た感性の持ち主らしかった

「今日はこのままホテルでお父ちゃんと会う事になっとうから、明日また会おな」
　ホテル前まで雑談しながら歩き、智子が二人にそう云って別れる

「おぅ、ヒロも頑張りなぁ『トモを下さい』云うてなぁ」
「リっちゃん…」
「律、私のお父ちゃんにも云ってくれんの？」
　智子、ヨウちゃんの彼女連合ににらまれ、律は黙らされて仕舞った

「おぅ、任せとけ！」
　黙って仕舞った律をフォローする様に、返事をする

「ヒロ！」
　智子がまた蹴りを飛ばす
　が、今度は来ると判ってる蹴りだ
　難無く躱し、例によって智子を腕の中に仕舞い込む

「緊張するのも、照れるのも判るけどな、親父さんには『友達』なんて紹介はさせ
ねぇぞ」
　抱きしめたまま、智子の耳にささやく
　頬を赤く染めながら「そんな事、判っとう」とつぶやく智子

「仲ええのはええけどな、おまえらここ、往来でホテルの前や判っとん？」
　律が呆れた様に声を掛ける
　不意に正気付いた智子がまたオレの体を突き飛ばす
　やはり数歩後ずさって何とか転ぶのだけは免れる

　律がオレの体を支えてくれながら、小声でオレにだけささやく
「トモの事、よろしく頼むわ」
「当たり前だ」
　やはり律にだけ聞こえる様な声で返して智子の方に向かい、オレ達は別れた

「君が藤田浩之君だね？」
「はい、智子さんとお付き合いしています」
　ホテルの親父さんの部屋に通され、挨拶もそこそこでイキナリの会話がこれだ
　ナントカ商社の偉いさんらしいのだが、なるほどそんな話し方だ
　仕事とプライベートを使いこなせて無い典型的なエリートだな

　ここは一丁、オレの方から攻撃をかけて見るかな？
「云っておくけど、オレは智子との付き合いを許して貰おうと思って来た訳じゃな
い」
「ほぉ？」
「オレは智子と付き合うと決め、そして智子もそれを受け入れた。単にそれを伝え
に来ただけだ」
「ふむ、それで私が『親として』許さない、と云ったら？」
「そんな事は関係ない。誰の許しが無ければ出来ない様な甘い考えなんか持っちゃ
いない。オレ達が万一別れる様な事が在ったとしても、それは許してくれた誰かの
責任なんかじゃ無いからだ」
　智子はオレ達の会話を聞いているだけだが、どちらに口を出すべきか迷っている
のだろう、何も云わずにいる
　心情的にはオレの話に賛成したいのだろうが、此処で親父さんにヘソを曲げられ
ても困るのでフォローもしたい、と云う所だろうか

　突然、親父さんの顔が『部下に接していた』モノから『肉親に接する』モノに変
わった…気がした
「よし、君達の報告は確かに受けた。私の許可は要らないと云う事は、私からの援
助も要らないという事なのだろう。君達は君達の好きにやれ、私は口出しも手出し
もせん」
「何か援助が要る様なら、改めて願い出はするさ。その時に可否の判断をしてくれ
れば良い。それも駄目かな？」
「私は好きにしろと云った。君の判断で私の助力が必要なら、それを云うのも君の
自由だ。ただし、その助力を私がするかどうかも私の自由にさせてもらうがね」
「そりゃ、当然。オレも自分の勝手ばかりが通るとは思っちゃいないからね」
「ふむ、結構。…尤も、私は君達に親ヅラするのは少しお門違いなのかも知れない
がね…知っての通り私はアレ…智子の母と別れて仕舞った。アレにも智子にも辛い
思いをさせて仕舞ったと思っている。君は、智子にそんな思いをさせないでくれ」
　なんだ、家族に対する思いも在る良い親父さんじゃないか
　夫婦の間の事は何も云えないが、誤解やすれ違い等で深まる溝も在るのだろう
　オレは親父さんに対しての評価を少し変化させて、後は智子との親子の会話に任
せて仕舞った

「そうだ、君達。今夜の宿はどうする積もりなのかね？良ければこのホテルに部屋
を取ろうか？」
　智子と親父さんが最近の近況を交えながら話していると、不意に親父さんがオレ
に尋ねてきた

「それって、ダブルで？」
「いや、ツインの予定だが…ダブルの方が良いのか？」
「いやぁ、そりゃぁ…なぁ？智子？」
　話を智子に振ってみる
　結構、酷な問い掛けかも知れないが、オレとしては智子から直接聞いてみたかっ
た
　智子が『素直になって』いるのならＹｅｓ、『親の前で良い子を演じる』なら
Ｎｏと答える筈だ

「えっ？ヒ…ヒロ、何云うとんのん、そんなん私に聞く事ちゃうやん…」
　頬を赤く染めて焦りながらも答える

「と、云う訳で」
「ふぅ、判った。さっきも『親ヅラする積もりは無い』と云った手前、何も云わん
よ…しかし、寂しいモノだな…娘が親の手前より彼を選ぶと云うのは…」
　と、云いながらも取ってくれていた部屋を変更してくれる
　オレはその事を有り難く感じていた

「何だ、良い親父さんじゃないか。心配して損したぜ」
　親父さんが用意してくれた一室でゆっくりしながら智子に云った

「うん、でもな、離婚前はそんな事話してくれるお父ちゃんちゃうかった…お父ち
ゃんも離婚して『家族との付き合い方』ちゅうのん判ったんかもな…」
　ベッドに座った智子が少し寂しそうに返してきた
「お父ちゃんな…離婚前までは仕事一辺倒で、私、お父ちゃんの顔見る事すら無く
育ってん…中学の頃に夜遅くまで起きてる様になってやっとお父ちゃんの顔が判る
様になってんけど、それまではお父ちゃん帰って来てもお客さんと間違える程やっ
てん…」
　余り自分の事を話さない智子だし、この話も絶対に楽しい思い出では無いだろう
　それでもオレにそんな事を話してくれているのは、それだけオレに対する信頼感
が増していると云う事だ

「でも、そのおかげでオレ達が出会えたのも事実さ。智子には複雑かも知れないけ
ど、オレはこの偶然に感謝したいね」
　オレは智子の隣に座り直してその肩を抱いた
　智子は小さくうなずくとオレの肩に頭を預ける

　…あ、不味い
　チト妙な気分になって来ちまった
　しかしこの後、親父さんと晩飯の約束をしてるし…流石にそれをすっぽかしてイ
チャつく訳にもいかね〜だろう
　なんとか自制心を総動員して体を離した
「そ…そうだ、親父さんとの晩飯ってどんなだろうな？」
「え？…あぁ、お父ちゃんゆーとったけど、このホテルのレストランらしいで…っ
て、え？ヒロ、ホテルのディナーなんか食べれる格好持ってきてへんのちゃうん？」
「へ？まぁ…そうだな、オレもこんなホテルに泊まる予定じゃなかったしなぁ…」
　智子がスクッとベッドから立ち上がる

「ゆっくりしとう場合ちゃうやん！すぐ適当な格好そろえなあかんやろ！」
「智子はどうするんだ？」
「私は普段着でもそんなラフなモンちゃうから適当にコーディネート出来るわ」
　智子はオレの手を引いて部屋から出る

「此処は私の地元や。まかしとき！バッチリ決めたる」
「別に良いけど、オレも今夜の宿代程度の予算しかないぞ？服買う予定なんか無か
ったんだから」
「だから、まかしとき！地元云うたやろ？安くてええもん揃えてる店は良う知っと
う」
「でも、中学生の頃の話だろ？」
「あ、そか。でも心配要らへん、私の友達だって神戸の女子高生や。最新の良い店
くらい、チェックしとうやろ」
　智子が阪神三ノ宮駅前で公衆電話を見付けて駆け寄る
　テレカを差し込み、おもむろに番号をプッシュ…そして待つ事十数秒
「あ、ヨウちゃん？トモや、さっきはどうもな。実はお父ちゃんとホテルで食事す
る事になってんけど、ヒロがラフな格好しか持ってきてへんねん。どっか適当な店
在ったら教えてくれへん？」
　智子は東京に来たばかりの頃には考えも付かない様な雰囲気で話し始める
　最近は東京でも明るい笑顔を見れる様になったとは云え、神戸に来てすぐに安心
しきった顔を見せる
　東京に来た当時から「神戸に帰りたい」と云っていたのは知っているが、やはり
自分に取っての故郷というのは無条件で安心できる所なのだろう
　幸か不幸か親の転勤にも付いて行かずに東京でずっと過ごしているオレには判ら
ない感情かも知れない

「さ、ヒロ。行くで？」
「あれ？電話は？」
「もう済ましたやん、何ボケッとしとんねん」
　どうやら、智子を見ながら考えてる内に『良い店』とやらを教えて貰ったらしい

「おう、じゃ案内してくれ」
「こっちや」
　電話で道案内を聞いただけだと云うのに、殆ど迷う事無く目的地に向かっている
　流石は地の利に長けている
　オレの方と云えば付いて行くのがやっとだ

「ここが今ヨウちゃんの一番お勧めな店や」
　なるほど、如何にもオシャレっぽい店だ
「ヨウちゃんゆーとったけど、妙に高いばかりのブランド品なんかおいてへん、セ
ンスの良えモン揃えてるでって」
　入ってみて判る
　東京でもこんな店は余り無い
　確かに高いブランド品は一切見当たらないが、色合いやらに店のポリシーがある
　オーナーが自分のセンスを信じて無ければ出来ない店だ

　ホテルを出る時、智子から「バッチリ決めたる」と云っていたのは嘘では無かっ
た様だ
　オレは何をするでも無く智子が選んだシャツ・ネクタイ・パンツを買っていた
　別に自分で決めても良かったのだが、智子がオレのコーディネートをする事に燃
えていたのと、オレも智子が何時に無く甲斐ゝしくオレの世話を焼く姿を見るのが
新鮮で嬉しかった所為も在った
　智子もオレの好みを知った上でのコーディネートなので、オレが異論を唱えるよ
うなチョイスをしなかったのも短時間で済んだ要因だろう

「さて、ホテルに戻って着替えたら約束の時間ギリギリだな。急いで帰ろう」
　会計を済ませて智子に云うと、智子もうなずいて一緒に店を出る

　流石に来た道を帰るだけなので、そんなに迷う事無く（と、云っても智子が地元
だからと云うのも当然あるのだろう）ホテルに戻り、オレは買ってきたばかりの服
に、智子も持って来た中からしゃれたワンピースを選び着替える

「ヒロっ！乙女の着替え見とう暇在ったらはよ着替え！」
　ワンルームのホテルではどうしても一緒に着替えるとなると智子の着替えも目に
入って仕舞う
　一度目に入って仕舞った智子の着替えから目を離せる程、オレは人間が出来ては
いない
「良いじゃないか、オレの着替えは殆ど終わったぜ。目の前に在る奇麗な物を見過
ごせる程、オレは嘘付きじゃない」
「な…なに云うとん！着替え見られてそんな事云われても嬉しないわ！」
　と、云いながらも白い肌がほのかに赤らんでいる
　オレは智子がワンピースに袖を通した所を見計らって後ろから抱きしめた

「本当の事を云ってるだけさ、智子に見とれてた」
　肩越しに見る智子の顔も既に赤らんでおり、手の方も前でモジモジさせているだ
けだ
「じ…時間無いんやから、今は…」
　あ、そうか
　親父さんとの約束は…このホテルの最上階レストランに…あと１０分か

「あ、やべ。そうだな、この続きは帰ってから、ゆっくりな」
　智子もほっとした様な、チト物足りない様な顔でうなずく

　キーを持って部屋から出、エレベータに乗って最上階まで向かう
　最上階では既に親父さんが待っていた

「あれ？時間に遅れた？すいません」
「いや、丁度時間どおりだよ。いつもの癖でね、時間前１０分位には待ち合わせに
来て仕舞うんだ。じゃぁ行こうか」
　親父さんに案内されてレストランに入り、ウェイターに案内されて席につく

「さぁ、好きな物を頼んでくれ」
　オレ達には値段欄の無いメニューが渡される
　まぁ、今回はホストが親父さんだから、せいぜい好きな物を頼ませてもらおう

「しかし、さっきの今だと云うのに随分としっかりした格好が出来た様だね。こん
な所で食事する予定でも在ったのかい？」
「いや、貧乏人には手の出ない場所での食事なんかする訳無いでしょ。この格好は
急あしらえ。三ノ宮まで行って来たんだ」
「へぇ、でも急いだワリには云いセンスだ。君のセンスかい？」
「いや、今回は智子のコーディネート。オレも気に入ってるし、智子もオレに合わ
せてくれたみたいで…」
「そうか…智子、今度は私にもコーディネートしてくれるかい？」
「うん、えぇよ。今度、お父ちゃんとも三ノ宮、行こか」
　等とそれなりに会話も弾ませている内に頼んだ料理が配膳される
　食事をしながらも、不意に親父さんがオレに向かって視線を飛ばす事が在るのに
気付いた
　最初は談話も兼ねているのだからだと思っていたが、どうもそうでは無いらしい

　食事も終わり、オレ達は結構満足していたが、結局親父さんはオレに話し掛けて
くる事は無かった
「智子、チト先に部屋に帰っててくれないか？」
　部屋の鍵を智子に渡しながら、聞いてみる
「そら、えぇけど、何？｣
「いやぁ、此処、ショットバーも在るみたいだからチト飲んでくるわ」
「私ら未成年やで？」
「大丈夫だよ、この格好でなら…あ、親父さん。身元保証に付き合ってよ」
　オレは思い付いた様に親父さんをショットバーに誘った

「え？藤田君…あ、あぁ、判った。お供しましょう。智子は、また今度な」
　親父さんもオレの誘いの意味が判った様で、二人でショットバーに行く事を了解
した
「ふぅん…判った。けど、ヘベレケになって来よったら、部屋に入れへんからな」
「判ってるって。今夜を楽しみに待っててくれ」
「あ…阿呆云うな！やっぱり、帰って来るんや無い！」
　顔を赤らめながら、智子はエレベータに乗って行って仕舞った

「さて、親父さん。行きますか」
　オレは親父さんを伴ってショットバーに入った

　オレは親父さんが切り出すまで待つ積もりだった
　親父さんとカウンターに並んで座り、カクテルを一つ頼んだ
　親父さんも一つ頼み、飲み物が揃った時点でやはり親父さんから切り出してきた

「藤田君、君に聞きたい…いや、頼みになるのかな？一つ話が在るのだが」
「だと思ってたよ。まぁ内容も察しは付くけどね」
「そうか…で、どうなのかな？」

「今の所は断ります」
「…そうか」
「智子と出会ったばかりの頃、智子はこっちに帰りたがってた。こっちに親友が居
るからって…でも、今は違う。今は向こうでも友人が出来ている」
「しかし、君が来るといえば…」
「オレは向こうに残れと云って智子を口説いた。そのオレが、向こうで友達を作る
様に進めたオレが、どのツラ下げてこっちに来ようと云うと思う？」
　オレは親父さんの台詞を途中で奪って返してやる
「それに…オレにだって家族は在る。そりゃ今はオレは一人暮らしみたいな状態だ
けど、向こうに友人だって揃ってる」
「…そうか、私の都合では動けないのは判っていたが…有り難う、はっきり断って
貰ってスッキリしたよ」
　親父さんはオレに向かって頭を下げた

「まぁ、これから学校卒業までは時間が在る。その先の就職だってどう転ぶか判ら
ない。オレは『智子さえ居れば…』なんて嘘臭い事は云えないけど、今の所は智子
とこれからずっと一緒に居たい。智子が最終的にこっちに帰ってきたいと考えてる
かは知らないが、今は向こうで一緒に居たいと思っている」
「そうか、智子からの連絡も最近、こっちの様子とかを聞かなくなって来たと思っ
ていたが、向こうでの生活が好きになっているのかも知れんな」
「せっかくの話だけど、それはまた今度聞かせてもらうわ。じゃ、部屋で智子が待
ってるんで」
　それだけ云うと、カクテルを一気に飲み干し、部屋に戻って行った

　部屋に戻ってドアをノックすると、数秒後、ドアが開いた
　智子は普段着に着替えて待っていた様で、既に来た時の格好に戻っている
「早かったね」
「まぁ…ね。智子を待たせても何だしね」
「で、お父ちゃんに何て答えたん？」
　智子も親父さんが何か…と、云うか聞きたがっていた事に当たりを付けていたら
しく、結論だけ聞いてきた
「断ったよ。親父さんの考えも判る気もするけどね」
「そう…良かった」
「良かった？」
「うん、私、向こうでも神岸さんや長岡さん達、友達も出来たし、まだ向こうでや
って見たいねん。こっちの友達も、そら懐かしいけど、まだ帰って来るには早すぎ
る思うし」

　オレは智子を抱きしめ、そのままベッドに押し倒した
「智子…親父さんにも云ったが、今は向こうでお前と一緒に居たいと思っている。
最終的にお前がどっちで暮らすか決めるのは構わない。けど、お前が決めたらオレ
に相談してくれ。お前からの相談なら、オレはもう一度考え直すから…」
　智子はうなずくと、そのままオレの首に抱きつき、唇を合わす

　そのままオレ達はベッドから出る事は無かった

「ヒロ、起き！」
　智子がオレの布団を引っぺがす
「うわぁ！さみっ！」
　既に夏は過ぎ去った季節だ、布団無し（しかも、夕べの勢いで殆ど全裸に近い）
の状態は流石に辛い

「さ、朝食べたらヨウちゃんたちとの約束の時間になるで！」
「へ？そんなになってる？今何時？」
「もう１０時近いよ、はよチェックアウトせんと今晩もホテル代取られるで？」
「そりゃ不味いな、じゃぁ出るか」
　昨日買った服をバッグに詰め込み、来た時の服を着ると、バッグ片手に部屋を出
た

「どっかでモーニングでも食うか？」
「そうやね。あ、そこでえぇんちゃう？」
　予定では、今日は一日遊んで、最終の新幹線で帰る事にしている
　明日の新幹線の方が余裕が在るのかも知れないが、月曜からはまた学校が始まる
　旅の疲れを残しては授業に差し障る…と智子の話だ
（オレは旅の疲れが在ろうと無かろうと関係無いのだが…寝てるから）

　喫茶店で軽く朝食を取って一度新神戸駅に荷物を置いてから待ち合わせ場所に行
く事にする

「遅いでぇ！こっちや！」
　待ち合わせ場所では既に律、ヨウちゃん他数名が集まっていた
「久しぶりやなぁ…元気やった？」
「そら、お互い様や。そっちこそ」
　友人連中は智子を中心に『感動の再会』をやっている

「おぅ、昨日はどうだった？」
「昨日？智子とか？そりゃもぉ凄い事を…」
「阿呆か、おまえ。親父さんとの事や！」
「当たり前だ、別に夜の生活を聞かせる程スレちゃいない」
「…つ、疲れる。おまえとはもうやっとれへんわ！」
「ど〜も、有り難う御座いましたぁ」
　と、躱そうとしたのだが…

「…えぇ〜っ！ヒロったら、ヤルじゃない！」
「え？なになに？」
「ヒロって、そこに居るトモの彼氏やけど、トモのお父ちゃんに面と向こうて交際
押し切ったって。結構、強引やったって」
　あちゃぁ、智子がバラしたのか…

「洋子には話せて俺には話せないのか？」
　後ろから律がオレの肩を捕まえる
　…しょうが無い、オレは律に昨日の事を適当に話す事にした

　それからオレ達は連れ立って神戸観光（これは初めて神戸に来たオレに対する配
慮だったのだろう）として神戸のアミューズメントパーク（ポートアイランド等）
をハシゴした
　途中、時間が合わなくて抜けた連中や携帯で連絡を取って合流した連中も居るの
で、総数は結構居たらしいのだが、オレは覚えていない
　それでも智子は一人ゝが懐かしい友人なのだろう、全員に近況を伝え合っていた
　最後に夕食も兼ねて、と云う事で居酒屋に入った
　改めて見ると、律・ヨウちゃん以外は朝会った連中とは全然違うという状態にな
っていた
「本日はど〜も、忙しい中、お集まり頂き、有り難う御座います。これより、トモ
こと保科智子の一時帰郷及びその彼氏の披露会を開催します」
　律の司会で居酒屋の座敷一角…今居るだけで１０人位か、が一斉に盛り上がる

「では、主賓の保科智子嬢と彼氏の藤田浩之氏から一言頂きましょう！」
　此処でまた盛り上がる…って、聞いて無ぇぞ！そんな事！
　隣では智子も全然聞いてなかったらしく、唖然としている

「トモとヒロったら、新神戸駅まで出迎えに行ったら改札内で抱き合ってキスまで
しとんねんで、もぉ最初から見せ付けられてもたわぁ」
　これはヨウちゃん…一層盛り上がってる中、これは引く訳にはいなかくなって仕
舞った

　オレは座敷を立つと隣に居る智子も立たせて一言だけ云った
「オレが智子と付き合っている藤田浩之だ。よろしく！ただし！智子に手ェ出す様
ならオレが相手になる。そン時ゃ容赦しねぇから覚えておく様に！」
　そのまま座ろうとしたら、周りはそれを許さなかった
　ヨウちゃんの「キス発言」でキスコールとでも云うのだろうか、そんな雰囲気に
包まれて仕舞った

　智子の法を見ると、既にこの雰囲気は何度か経験しているらしく、諦めた様に、
しかし何処か嬉し気にオレの方を見ている
　よーし、やったろうじゃねぇか！

　オレは智子の背中に手を回してこっちを向かせ、そのまま唇を合わせた
　智子も予想していた様にオレの背中に手を回して来た
　しかし、ただ乗せられただけで見世物になるのも癪だ
　少しうっとりして来た智子の口に舌を差し込んだ

　流石にただ「雰囲気的に逃げられないから」キスをしていた智子は吃驚した様だ
が、オレは構わず舌で智子の口の中を愛撫していく
　段々と智子もそれを受け入れ始め、二人の舌を既に慣れている様に（まぁ、実際
慣れているのだが）絡め始めた
　智子はもう周りの事を半分忘れている
　体から力が抜け、既にオレに半分体を預けている

「判った、俺達が悪かったから、二人だけの世界に行かないでくれ」
　律がワビを入れてきた
　ふん、オレをハメようなんざ１０年早いぜ

　オレが智子の体を離すと智子はそのまま腰砕けの状態で座り込んでしまった
　心なしか目の焦点も合って無い
　チトやり過ぎたかな…

「無茶するなぁ、おまえ。トモもぅ溶けてもとうで？」
「囃し立てたのはお前らだ、正気づいたら全員の責任だからな」
　律と小声でやり取りしてると「東京モンもやるなぁ…」とか云う声が聞えて来た

　オレはにやりと笑うと
「東京モンでも出来る事だモンなぁ。神戸っこの心意気ってのを見せて貰わないと
なぁ…丁度、此処に公認のカップルも居るしなぁ！」
　と、周りに提案した
　その意味は周りの連中も察した様で、『おぅ！』と景気の良い答えが返って来る

「ヒロ…おまえ、エゲツナイ事するなぁ…」
「ふふん、どうする？律…」
　焦りまくってる律とヨウちゃんを急っつく

「えぇい！やったるわぃ！洋子！」
「えっ？ホンマに！？」
　どうやら律の方が先に切れたらしい
　呆然としてるヨウちゃんの腕を取って立ち上がり、強引にキスをする

　数秒だろうか、時間が経ってから律は体を離した
　ヨウちゃんも暫く呆然としていたが、不意に正気に返り律に平手打ちを飛ばす
　パシッと気持ち良い音がして、律が頬に手を添える

「まぁまぁ、追いつめたオレ達も悪いんだし…」
　オレがなだめ役に入ると

「そんなん判っとうわ。ヒロはきちんとトモに確認取っとったのに、律はイキナリ
やで？その分をビンタ一発で許したるんやから、私も寛大や」
　と、笑っているので、これが普段の二人のノリなのだろう
　律のヤツ、結構尻に敷かれてるぢゃねぇか

　そんなこんなで宴会も盛り上がり、居酒屋を出る時には新幹線の時間まで間も無
い時間になっていた
「今日は本当に有り難うな」
「おぅ、今度来る時も一声掛けや」
「東京に来る時はオレ達が案内するぜ」
「そやな、よろしく頼むわ」

　居酒屋で皆と解散したが、律とヨウちゃんだけは最後まで見送ってくれる事にな
り、オレ達は新神戸駅まで向かった

「律、一発、殴って良いか？」
　律にだけ判る程度の声で、話し掛ける
「…そうか、何時か来る思とったからな。ま、仕方無いやろ。一発やから思いっ切
り来いな」
　律が覚悟した様にゆっくり目を瞑る
「すまんな…一応のケジメは付けさせてもらうぜ…」
　そう云うと、渾身の力を込めて律の腹に拳を埋め込んだ
（葵ちゃん直伝の空手の握りにエクストリーム同好会で特訓した突き出し。これは
　ハッキリ云って結構効く）

　律が耐え切れずに数歩さがって尻餅を付く
　一連の会話が聞えて無かった智子・ヨウちゃんはさぞかし吃驚した事だろう

「ヒ…ヒロ！何しよんねや！？」
　ヨウちゃんが律を開放してる脇で智子がオレに詰め寄る

「くっぅ〜…効いたぁ…トモ、待てや…これは、ケジメや。俺は殴られなあかん」
　幾分か回復したのだろう、喋れる様になってから律が智子を止める
「なんでなん？」
「トモを…泣かせたからなぁ…男として、惚れた女泣かした奴に拳飛ばすんは当然
の事や」
　智子の問い掛けに律はさも当然と云う様に答える
「それなら、私かて同じやん！」
　ヨウちゃんが叫びに近い声をオレ達に浴びせる
「阿保ぉ…ヒロに…女、殴らせたいんか？まぁ、その分思いっ切りやられたんやか
ら、全部チャラや」
　痛みに顔をしかめながらも淡々と話す律に「そんなん、判らへん」と云いながら、
律の体を抱きしめるヨウちゃん
「こいつの事は俺が面倒見るから、ヒロ、お前はトモを頼むで…悪いが、見送りは
此処までや…痛とぉて暫く立てん」
　ヨウちゃんの体を抱きながら、オレに向かって笑いかける

　それで智子も判ってくれた様だ
「おぅ、じゃぁオレ達が次にまた来るか、お前らが東京に行くかした時だな。それ
まで元気でな！」
「おぅ、そっちもな！」

　オレは智子を連れて駅の改札を抜け、新幹線に乗り込んだ

「結局、リっちゃんに謝らへんかったな…」
　電車が動き出した時、智子が話し掛けてきた
「云ったろ、ケジメとしてやった事だって。律だって、立場が逆ならオレを殴り倒
してるだろうな。それでも謝っちゃいけない時だって在るさ」
「そうか…」
　それ以上、その話題はお互い触れなかった

「まぁ、次は連中が来るかも知れないからな。そん時ゃ盛大に歓迎してやろう
ぜ！」
「うん、そやな」
　オレ達はそう云って東京へ向かう新幹線の中、旅の最終行程を楽しみ始めた

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＦＩＮ


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