……思い出して欲しかった。
　……思い出して欲しく無かった。
　そして……彼は思い出して仕舞った。

　何だろう？　この後悔の気持ち。
　胸が張り裂けそうで、自ら死ぬ事すら叶わない位深く、悲しい後悔。

　これは……夢。
　昔から良く見ていたエディフェル……私の前世の記憶を見ていた夢と良く似た感覚が在る。
　でも、違うわ。
　あの夢とも違う……まるで私が見ている夢じゃ無いみたい。
　千鶴姉さんの夢を見ているような感覚により近い。
　これは……耕一さんの夢ね。


　耕一さんは昔、次郎衛門と云う野武士だった。
　８００年も前の事。
　此処、隆山の領主の依頼で鬼征伐に参加した。
　そして、私と会った。鬼である私と。
　戦いになる前、偶然会った次郎衛門と私は、お互いに惹かれ合ったが、それを意識する前に別れた。
　そして、人間が私達に戦を仕掛けてきた時、私はこの前感じた意識を確かに感じ、そこに駆け出していた。
　そこには、命の炎が消えようとしていた男が一人、居た。
　私は何も考えられなくなり、兎に角『この男の命の炎を絶やすまい』それだけを必死に考え、その男の考えやこれまでの生き様などは全く気にせず、それを実行した。
　意識を取り戻した男は、鬼の体にされた事に対して激怒し、私を犯した。
　けれど、私は男の中から私の心に流れる温かいものを感じ、それを信じてなすがままになっていた。
　程なく、落ち着いた男は、私に深く謝罪し、私は今までの彼の話しを聞き、私も自分の話しをした。
　思えば、自己紹介もせずに交わっていたのだ。
　そして、その時私は後悔した。
　彼は、征伐する対象である鬼にされた事で、野武士としての誇り・そして人間である誇りを完全に打ち砕かれたのだ。
　だが、彼はそれを気にする事もなく、お互いの話しを終えた私を愛してくれた。
　この心に流れる温かいモノを『人間からの愛』と認識するのに時間は必要無かった。

　私はこの事もあり、一族に人間と共存する事を主張する様になっていた。

　鬼……私達は一族をエルクゥと呼んでいたが、人間は私達を『鬼』と呼んでいた。
　私達の……特に男性の……姿形や、人を狩り陵辱し、町を荒らしまわる姿が人間の伝承で云う所の『鬼』に酷似している様だった。
　私は鬼……エルクゥの一族でも王家の娘だった。その私の意見なのだから、無視は出来ない、そう信じていた。
　確かに、無視はされなかった。しかし、悪い方でだった。

　一族は私の意見を『掟に反する』と判断し、王族の娘が掟を破る事を許さなかった。
　私は彼の元に行き、彼と私を『一族の掟に対する反逆者』として処刑される事を伝え、共に身を隠すよう願った。
　彼は理不尽な処刑命令にも怒る事無く、共に身を隠してくれ、自分の為に一族に意見した私に対する感謝と謝罪をしてくれた。
　それから、一族の者に見付かる迄のひとときは正に至福の時だった。
　彼は私と祝言をあげてくれ、人間の中で私は次郎衛門の妻として生活出来た。

　だが、その至福も続きはしなかった。
　エルクゥの一族は他の一族と心を通わせる事の出来る能力が有る。私は逃げきれる筈が無かったのだ。
　私を見付け、手にかけたのは、私の姉、リズエルだった。
　彼が私を見付けた時は既に遅く、私の命の炎は既に尽きかけていた。
　私は彼に姉を怨むなと願い、彼は私に『次の生で必ず幸せにする』と誓ってくれた。


　私の記憶は此処で終わり、後は現世、柏木楓として生まれた後に知った知識だが、私の姉二人は私の意志を継ぎ、やはり反逆者として処刑され、末の妹リネットも人間との共存を願い、次郎衛門を頼った。
　次郎衛門の心中はどうだったかは判らないが、リネットを利用し、鬼……エルクゥの一族を滅ぼした。

　リネットの心から悲しむ姿に後悔した次郎衛門は、残る半生をリネットを保護する事に費やし、その子孫がこの柏木の家になった。

　これが、その通り行われた事実だと云う事を信じている人間は少ない。
　誰もが、これはこの町に有る『鬼退治の英雄：次郎衛門』の御伽話だと思われている。

　でも、これは事実。
　私の記憶と、この彼の見ている夢……過去の回想による後悔に裏付けられた事実。
　彼は私の死により、正気を失い、妹を使って一族全体に復讐を遂げた。
　そして、悲しみ崩れるリネットを見て覚えた後悔を今、再現している。

　それが判った時、私は目を覚ました。


　既に朝……とは云ってもまだ少し早い。
　梓姉さんと初音は台所で朝ご飯を作っているけど、耕一さんと千鶴姉さんはまだ寝ている様ね。
　私は着替え、耕一さんの部屋に行った。

　耕一さんの部屋は、前は叔父様……耕一さんのお父様……が使われていた和室。
　障子を開けると、耕一さんはうなされていた。
「耕一さん、耕一さん」
　体をゆすりながら耕一さんの名前を呼び続けた。

「うぅっ……すまん、リネット……」
　彼の声が私に聞こえた時、私は凍り付いた。
　リネット……私の妹。彼の妻としてこの柏木を生んだ……

　先週あった事件、彼がエディフェルを思い出し掛け、私を抱いてくれた時、完全に記憶を取り戻してくれた、事件。
　彼の鬼が暴走しないか心配していた千鶴姉さんから、鬼を制御出来るか確認され、一度暴走しかけたけれど、結局は自分を取り戻してくれた。
　それは、言葉にすればそれだけだけれども、私にとっては、今までの中で、一番幸せな事件だった。
　そう、その瞬間、私はエディフェルですら感じた事の無かったであろう幸せを感じていた。

　しかし、その時は気付かなかっただけだと云う事を、後になって思い知らされた。
　彼はリネットも愛していた、と云う事を。

　なんの偶然か、私達は前世と同じく、４人姉妹で生れた。
　しかも、やはり４人が同じ様に前世の生まれ変わりとして。

　千鶴姉さん……リズエル
　私を手にかけ、掟を守ろうとした、長姉。
　今も柏木を守るために、私達には判り得ない程の苦労を強いられている。

　梓姉さん……アズエル
　家族思いで、情に脆い一方、好戦的で一族でも一・二を争う戦士だった次女。
　今では家事に精通し、家族を何よりも愛してくれる。
　でも、直情的でそそっかしいのは、前世からなのかも知れない。

　初音……リネット
　心やさしく、エルクゥ達の宇宙船「ヨーク」と心を通わせる事の出来る末妹。
　今も心やさしく、気配りも行き届いている誰からも愛される妹。
　そして……次郎衛門の妻として柏木の祖を作ったのは私では無く……彼女。
　そう、次郎衛門も彼女を愛した筈。

　総てを思い出した耕一さんなら、思い出していて当然の事……


「うぅん……ん？　か……楓ちゃん？」
　目を覚ました耕一さんは、吃驚した様に私を呼びました。

「あ、こ……耕一さん、おはよう御座います」
　耕一さんの呼び掛けで此処に居る事を思い出した私は、動揺を悟られない様に挨拶を返します。
「うん、おはよう、楓ちゃん……で、どうしたの？」
　えっ？　やっぱり普段と違って見えたの？　耕一さんも鬼の力と過去の記憶を取り戻してから、どんどん気配を読むのが鋭くなってきます。
「別に……何でもありません」
　何でもない筈は在りませんが、こう答えないと、考えの全てが耕一さんに知られて仕舞いそうで、私は必死になって動揺を押さえます。

「何でもなく、朝から俺の部屋に居たの？」
　え？　此処に居た理由？
　私の様子がおかしいと云う事では無くて、単に『朝起きたら私が居た理由』を聞いただけなの？
　私は、その結論に達するまで、随分回り道をした様です。
　でも、うなされていた事を話すと、リネットの事に話しが移ると思います。
　今は、それだけは避けたい。

「え、ええ。朝になって、耕一さんの顔を見たくなって……」
　私は、うなされた事を省いて此処に居る理由になりそうな事からを必死に考えてそう云いました。

「うん、朝から好きな人の顔が見れるのは、すごく幸せな事だからね」
　耕一さんはそう云うと、私を抱き寄せてくれます。
　耕一さんの胸に頭をうずめた途端、かぁっと頭に血が昇るのが判ります。多分、今の私は耳まで真っ赤でしょう。
　この幸せを放したくない……たとえリネット……初音にだって渡したく無い。
　身勝手なのでしょうけど、そう思わずには居られません。


「お兄ちゃん、朝御飯出来たよぉ」
　とたとたっと軽い足音がしたと思うと、耕一さんがまだ寝てると思っていたのでしょう、初音が障子をカラッと開けて起こしに来ました。
　勢い、私と耕一さんは弾かれる様に離れました。
　でも、初音には抱き合ってる私達が見えて仕舞った様です。

「お……兄ちゃん、楓お……姉ちゃん、おは……よう」
　云いながら、初音の目からは涙が零れていました。

「初音ちゃん？」
「初音？」
　私達の吃驚した声でようやく自分に何が起きているのか……泣いているのが判った様です。

「あれ？……どうしちゃったんだろう？ご免なさい」
　それだけ云って、初音はたたっと駆け出して行って仕舞いました。


「初音ちゃん……！？」
　耕一さんは初音の様子を見て追いかけようとしますが、途中で止まってしまいました。
「は……つねちゃん？　前に……何処かで？」
　いけない！　初音の涙を見て、耕一さんが記憶を取り戻そうとしている。
「耕一さん、初音は私が見てきますから、耕一さんは居間で待ってて下さい」
　そう云うと、私は初音を追って、初音の部屋まで行きました。

「初音？」
　初音の部屋には鍵はかかってませんでした。
　慌てて部屋に戻った初音はベッドの上でうつぶせになっていました。

「楓……お姉ちゃん」
　私の問いかけに答える様に顔をあげた初音は、まだ潤んだ瞳で私を見ています。

　もしかして、初音も前世の記憶を取り戻したのかもしれない。だとしたら私はどうすれば良いのでしょう？
「初音……どうしたの？」
「お姉ちゃん……何故だか判らないけど、お姉ちゃんと耕一お兄ちゃんを見てたら悲しくなって、でも、安心したみたいな……何だか判らない気持ちになって……気が付いたら涙が……」
　どうやら、記憶が戻ってはいない様ですが、心の奥ではリネットが泣いている様です。
　でも……私と耕一さんの姿を見て安心しているのは……初音もリネットも本当に心から優しい娘なのね……私は自分の身勝手さが悲しく、リネットの様に、初音の様になれない自分が情けなくもなりました。
　だからといって、私に何が出来るのでしょう？
　過去の記憶を話してあげても、初音にとっても辛い過去になるのだし、私は耕一さんと離れる積もりは在りません。
　つまり、初音と耕一さんを争う事になります。
　どちらが勝っても悲しい争いに……

「兎に角、ここで塞ぎ込んでても耕一さんが心配するだけよ。居間に行きましょ？」
　優しく問い掛けると、初音はコクンとうなづき、私の後ろに付いてきました。

「でも、お姉ちゃん。何時から耕一お兄ちゃんと？」
　やっぱり初音に見られていたのね……此処で嘘は付きたくありません。
　それは、私の為でもあるし、初音にも嘘は良くないと思ったから……
「先週、私と千鶴姉さんと耕一さんで夜中に出かけた事が有ったでしょ？」
「うん、私と梓お姉ちゃんが一緒に行くっていって止められた時でしょ？」
「えぇ……あの時に、私……耕一さんと……」
　駄目。頭に血が昇って、顔中真っ赤になっちゃってこれ以上は云えません。

「うん……判った。おめでとう、お姉ちゃん。耕一お兄ちゃんの事、好きだったんでしょ？」
　えっ？　どうして？　私はそんな事話した覚えは有りません。
　赤面しているのも忘れて（いえ、既に顔からは血の気は引いているのでしょう、顔の熱さは無くなっていました）初音の顔を吃驚しながら見ていました。

「判るよ……耕一お兄ちゃんは『避けられてるかも』って思ってたみたいだけど、お姉ちゃん、何時も少し離れた所からずっとお兄ちゃんを見てるんだもん」
　初音には気付かれてた。私の想いが。
　この時点で、もう初音とは争う事にはならないと思い至りました。
　初音も、リネットも優しい娘だから、私と争ってまで耕一さんを欲したりしないでしょう。
　最悪の事態が回避出来た事に私は心から安心しました。


　居間に付くと、千鶴姉さん、梓姉さんと耕一さんが待っていました。
　私達が麻の挨拶をして席に付くと、千鶴姉さんは微笑んで返してくれ、梓姉さんは私達の分の御飯をよそってくれました。

「楓ちゃん、後で話が在るんだけど……」
　耕一さんは私が御飯を食べおわると、そう云います。
「耕一さん、楓は今日、学校が在りますから……」
　千鶴姉さんは耕一さんにそう云ってくれますが、
「別に、急ぎじゃない。今日、楓ちゃんの学校が終わった後で良いんだ」
「判りました。学校の後、お部屋に行って良いですか？」
「うん、待ってる」
　耕一さんの話したい事……それは、私には心当たりの有る事でした。
　……とうとう、思い出して仕舞ったのですね。


　その日の授業は全然身が入らないものになりました。
　友達の誘いを断って、家にまっすぐ帰ります。
　私のこれからの為に……


「ただいま」
「楓お姉ちゃんおかえりなさい」
　何時も一番最初に帰って来る初音が出迎えてくれました。
「耕一さんは？」
「耕一お兄ちゃん？　居るみたいだけど、『考え事したいから』ってお部屋から全然出て来ないの……ただ、楓お姉ちゃんが帰ってきたら来るようにって」
　初音には……何も話さないでいてくれたみたいね……

「もしかして、話って、私の……リネットの……事？」
　今度こそ、私は完全に凍り付きました。
　今朝は全然思い出して無かったのに、何故今は？
　まさか、耕一さんから聞いたのかしら？　でも、耕一さんもまだ初音がリネットだって確信はして無かった筈……

　私が凍っていると、初音は小さい声で、しかしキッパリと私に言います。
「私、今日、学校で今朝の気持ちをずっと考えていたの。何故こんな気持ちになったのか、この気持ちは何なのか。そして判った……うぅん、思い出したの」
　そう……初音は思い出したのね。
　リネットの記憶……そして想いを。

「でも、私、耕一お兄ちゃんと楓お姉ちゃんが好き合っても良いと思うの。リネットだって、そう思ってる」
　えっ？　私は吃驚して初音の顔を見返しました。
　リネットだって次郎衛門を……愛していた筈。
　何故私を許そうとするの？　リネットの記憶が目覚める前に貴方を出し抜いた私を。

「あのね、リネットは三人のお姉ちゃんを亡くしてとても悲しんだの。だから、エディフェルの……お姉ちゃん達の意志を次いで人間とエルクゥの共存を望んだの。
　その時に頼りに出来る人は次郎衛門しかいなかった……頼りにしていたお姉ちゃん達はみんな居なくなって、一族からも反逆者扱いされて……そんな時、次郎衛門は優しくしてくれた。エディフェルの……お姉ちゃんの面影を追っていただけなのかも知れないけど、優しかった。
　リネットは次郎衛門が大好きだった。結婚してくれて本当に幸せだったの。
　でも、次郎衛門は夜中になると泣いていたの。二度と会う事の出来ないエディフェルを想って、いつも泣くの。私はその度に起きて、次郎衛門を慰めながら、自分も二度と会えないお姉ちゃん達を思って、そして次郎衛門の支えになれない自分を悲しんで泣いてしまうの」
　覚醒したばかりの初音がこんなにも細かい部分まで思い出している事に驚いたが、リネットは一族で一番感応力の強い娘だった事を思い出して、納得した。

「だから、リネットもエディフェルが次郎衛門と好き合うのは、認めてるの。うぅん、リネットは次郎衛門の相手はエディフェルじゃ……なきゃ……認め……ない……の」
　話しながら、初音は泣き出していました。
　リネットも、初音も耕一さん……次郎衛門を愛していた事がひしひしと伝わってきます。

「初音……ご免ね、有り難とう」
　私はそれだけを云うと、耕一さんの待つ、和室に向かいました。


「楓ちゃん、おかえり」
　和室に入った私を耕一さんはにこやかに答えてくれ、自分の前に座布団を出してくれました。

「お話って……何でしょう？」
　私は在る程度推測出来ているにも拘わらず、万一外れていれば……との期待を込めて改めて内容を聞きました。

「うん、俺の次郎衛門の記憶がほぼ完全に戻ったんだ。そして君達姉妹の気配がその記憶の中に在った。それを確認したいと思って」
　やはり、その話なのね。

「今朝、初音ちゃんの涙を見てて、そしてその時の記憶を掘り下げてみて、全部思い出したよ。君達四姉妹は前世でも四姉妹だった事を」

「えぇ、でも、それを思い出してるのは、私と……初音だけです」
　私はそれ以上耕一さんの口から聞きたくなくて、結論だけを先に云いました。

「えっ？　千鶴さんも思い出して無いの？」
「はい、千鶴姉さんも、梓姉さんも鬼の力は覚醒してても、過去の記憶までは思い出してません。昨日までは私だけでした。」
「昨日まで？」
「はい、今朝の事で初音も思い出したみたいですが……」
「初音ちゃんもか……」
　私はこれ以上聞くのが恐ろしかった。
　もし、「次郎衛門はエディフェルよりもリネットを愛したのだ」と聞かされたら……「俺は楓よりも初音を愛する」と聞かされたら……私はもうどうして良いか判らない。

「で、楓ちゃんはどうしたい？」
　えっ？
　思いもしなかった質問です。
　『私が』どうしたいか？　と聞いたのでしょうか？
「楓ちゃん？」
　私は、またも凍っていた様です。
「わ……私は、耕一さんと別れたくありません。耕一さんがエディフェルよりリネットを愛するのだと云っても、私は耕一さん意外に考えられません」
　私は、今までの幸せを失いたくない一心で、一気に云っていました。

「う〜ん、エディフェル？」
　耕一さんは困った様な顔で私を見つめます。

「俺はエディフェルを愛する積もりは無いんだけどなぁ」
　耕一さんの言葉に私は目の前が真っ暗になりました。
　もう何も聞きたくありませんでした。
　私はその場を立つと私の部屋まで走り出しました。

「待って！　楓ちゃん！」
　耕一さんの声が後ろに聞こえますが、構わず走ります。

　縁側から廊下を曲がった所で不意に後ろから手首を捕まれました。
「全く……話を最後まで聞かないのは、いけないな」
　耕一さんが優しい声で言いますが、私は最後まで聞き届けられるほど、落ち着いてはいられません。

　なおも走り出そうとする私を耕一さんは手首をぐっと引っ張り、引っ張られた私の体を抱きかかえる格好になりました。
「俺が愛してるのは、楓ちゃん、君だ」
　えっ？　今……なんて？
「俺が一人の女性として愛してるのは、エディフェルでも初音ちゃんでも、ましてやリネットでもない。楓ちゃん、君なんだ」

「確かに、楓ちゃんが気になり始めたのは、エディフェルへの次郎衛門の想いが在ったからだし、鬼の力を制御出来たのは次郎衛門の記憶の中にエディフェルに誓った約束が在ったからかも知れない。でも今、俺、柏木耕一が愛してるのは楓ちゃん、君だけなんだ」
　私は最後まで聞けませんでした。
　今まで、初音に感じていた嫉妬、そして初音に対しての行動等が、酷く後ろめたく、そして、耕一さんにこうまで想われておきながら、それを信じる事の出来なかった自分を酷くあさましく感じて、涙が溢れてきます。
　エディフェルはこんなにも長い間、次郎衛門を信じてきたのに、その記憶を受け継ぐ私が耕一さんを信じられないなど、次郎衛門、エディフェル、リネット、初音、そして耕一さんに酷く申し訳無いと感じるともう、涙は止まりません。

「楓ちゃん、次郎衛門もエディフェルも、リネットも、もう８００年も前に死んだんだ。俺達がそれに囚われる事はない。初音ちゃんも思い出してしまったなら、判ってくれる筈だ、それらは過去に起こった出来事なんだって事を」
　はい、そうですね。
　結局、過去に囚われていたのは私だけだったのですね。
「耕一さん……ご免なさい」
　私は色々な意味を込めて、ありったけの心を込めて耕一さんに謝りました。

「楓ちゃんは悪くないよ。楓ちゃんはエディフェルの記憶を思い出すのが早すぎたんだ。楓ちゃんの気持ちとエディフェルの気持ちを混同してしまうくらい。でも、これからは柏木楓として俺を好きになって欲しいな」
　耕一さんは私をキュッと抱きしめるとそう云ってくれました。

「私は、耕一さんが好きです。次郎衛門ではなく、耕一さん、貴方が。」
　私は耕一さんの腕の中でそれだけ云うと、腕を耕一さんの背中に回しました。


　どれだけの時間、こうしていたのでしょうか、突然ドサッと云う音がして私達は我に帰りました。
「こっこ…こ……こ、耕一！　それに楓！」
　梓姉さんが帰って来ていた様で、音は姉さんの学生鞄でした。
「耕一！　貴様何時の間に楓に手を出したんだ！」
　云うが早いか梓姉さんの拳が宙を舞います。

「うわっ」
　耕一さんが私を抱え、ギリギリの所でそれを避けます。
「逃げるな！　このエロ大学生！」
「無茶云うな！　逃げなきゃ痛いだろ！」
「当たり前だ！　殴ろうとしてるんだから！」
　安全そうな所に私を逃がして耕一さんは逃げ回ります。

「あ、楓、エロ大学生に何かされなかったか？」
　耕一さんと私が離れたのを見て、梓姉さんが私に駆け寄ってきます。

「楓ちゃん、助けてよ」
　耕一さんも私の影に隠れる様にして近付いて来ます。

　私は、今までの葛藤が莫迦ゝしくなって、つい笑ってしまいます。
　私には、この幸せが長く続く事がもう判って仕舞ったのですから。

　　　Ｆｉｎ

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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＦＩＮ